まどかマギガとキリスト教と・・・引き寄せの法則2。

不幸な現象を内面化してしまったものが
「罪」。罪は魂を汚してしまうのです。

小さな子供は穢れを知らない純真さを
もっています。
子供は幸福も不幸も分からないので
不幸を内面化しようがありません。
だから、子供には罪がありません。

けれど、子供が成長して小学校に入れば
たとえば、イジメという不幸な現象に
出会ってしまう可能性が出てきます。
イジメはいじめっ子のいない
場所に行けば消滅する現象です。

イジメを苦にした自殺事件がおこると
テレビのコメンテーターは
「自殺するくらいなら学校に行かなければよい」
とコメントしますが・・・違うんですよね、
子供はイジメという現象を内面化してしまっているから
いじめられている自分は
「恥ずかしい、劣った存在である」
と自己評価が低下してしまって
その自己評価は学校を休もうが、転校しようが
ひきこもりになろうが逃れることはできないのです。

いじめられっこは、いじめっこの
「お前は劣った存在である」という呪いを
ストレートに内面化しちゃってるんです。
子供は思考が混乱して、混濁しているから。

さて、イジメという明快な現象がなくても
子供は成長するにしたがって
意識、無意識でイヤなこと、不幸なことを
経験していきます。
その経験が知らず知らずに内面化されていって
青年になるころには立派な罪人になっているのです。

キリスト教は原罪を説きます。
これは人々の内面化された罪を
その理由のいかんを問わず
とりあえず、乱暴ですが
人間には生まれつき罪があるという
フィクションを導入して
全員まとめて面倒をみてやるという宣言なのです。

イジメで不幸、貧乏で不幸、不細工で不幸、
なんか知らんが不幸、理由なく不幸、
いちいち個別の理由を分析していられないので
とりあえず「原罪」。それでOK。

そして、その罪をイエスキリストが
十字架にかかることによって、
皆の原罪が赦されましたというのが
キリスト教の本質。

つまり、「不幸な現象とあなたの魂は
関係がないですよ」という
当たり前の事実を手を変え品を変え
皆に理解させようとしているのが
聖書に書かれている物語なのです。

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まどかはキリスト

アニメ、まどかマギガでは
最後に主人公のまどかが
すべての魔法少女の罪と穢れを
引き受けて死んでしまいます。
イエスキリストです。

でも、まどかが犠牲になったからといって
世の中から不幸がなくなるわけではありません。
魔女がいなくなっても、魔獣が人々を不幸にするのです。
まどかが選択した道は
世の中から不幸な現象をなくす道ではありません。

そうではなくて、人々が不幸な現象を内面化して
魂を罪で汚してしまうことを無くす道を選んだのです。
イエスキリストや、仏陀にならぶ知能明晰さです。

さやかちゃんや、杏子は
恋人や、父親の不幸な現象を無くして
幸せな現象を実現させる道を選びました。
けれど、現象は幸福なものでも、不幸なものでも
いずれは消滅してしまうものです。
恭介や父親が喜んでも、いずれその喜びは
消えていくのです。
でも、まどかの人々を罪から救う道は
永遠です。まじで、まどか様はキリストです。
ってことは、キュウベイはペテロか・・・

まあ、それはともかくとして
この現象と魂は関係がないという考え方。
現代社会でも「引き寄せの法則」と装いを
かえて社会に影響を与えています。

キリスト教の勢力が弱いとされている
日本でもキリスト教の考え方は社会で
一定の影響力を持っているのです。

引き寄せの法則の、思考や発言が
現実になるという考え方は、
常にポジティブな思考や発言をすることによって
不幸な現象が内面化されないように
する技法です。

この世には、イエスキリストも、まどか様もいないので
私たちは引き寄せの法則なんていう、面倒な技法に
頼らなければならないのです。
ああ、何たる不幸。

早く、PSVRをつかって2次元の世界に行きたい(^^)

当ブログのメインコンテンツ。アニメキャラ相性診断もどうぞ。

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